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若いから出来た?無謀な計画

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まさに時代は間違いなく好景気?

特に不動産バブルになり始めていたのです。

三年で購入時よりも、高くなっていた家を売却したお金をもとに

いつかは住みたいと思っていた、住宅地の売地を探しました。

当たり前のことですが、その団地の土地も三年前に比べて

バブル的に高くなっています。

住宅地が抽選で売られた当時の価格に比べて、8~9倍?

百坪を超える土地を購入した人が、五年の売却禁止がなくなり

(売ることを前提に角地の半分を空けてある)

売るといいます。

土地値で2400万、これに建築費を加えるとかなりの高額になります。

会社の同僚からは「無謀」と言われましたが、若かったからか

実行に移すことにしました。

問題は、土地の購入する資金です。

なぜなら、住んでいる家は売れたわけでもなく、

ローンも支払っていたからです。

選択肢は??? ボタンを掛け違えていませんか?

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勤め先に近く、子供の幼稚園(幼児の数が多く入園するのが難しい時代)や

小学校も近い、そして駅や買い物・病院なども便利な中古マンションか、

このマンションと条件が全く逆な不便な中古戸建てか。

金額は大差なかったけれど選択肢は、次につながるかどうかです。

公団にいた時も、その時点での生活は快適でした。

しかし、快適であればあるほど、次のステップに進むことを躊躇させるでしょう。

妻の希望は、土地付一戸建てに住み、犬を飼いたい・・少々不便でも。

『方』  『荘』 『号』から住まいの双六のように次は『字』を

選ぶことにしたわけです。

その建物は三年後に、買ったときよりもかなり高い価格で売却することが

出来ました。

まさに時代は間違いなく好景気?

特に不動産バブルになり始めていたのです。

環境が住まいの選択肢を決める

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全く異業種のハウスメーカに勤務し、埼玉県内の住宅展示場を

春日部、川口、浦和、

大宮、所沢、川越、など短い所は半年という、転勤の連続です。

やっと入居した公団も、所沢勤務となり半年ほど車で通いましたが

続けることは無理となり、転居することに・・・

転居した家は、公団に比べてあまりにも、

ひどかった。

この体験と住宅にかかわる仕事を選んだことが、

「マイホーム」を欲しいという動機につながったのですが、

問題は、少しの手元資金しかありません。

土地を購入して、自分で考えた家を建てることは無理でした。

まず、この劣悪な住まいから脱出することと合わせて、

近い将来の夢、マイホームへのステップになる方法を

考えました。

・・・・この方法は、二人の息子にも選ばせています・・・

彼らは、10年もしないで借金から解放されています。

今日よりも明日はもっと良くなる・・時代にいたころ

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いつかはマイホームを・・夢だった時代。

当時、公団住宅に住むことが若い夫婦にとって憧れだった。

広い敷地に、幼稚園や小学校、お店など揃った環境は、

希望者が多く、抽選に応募してもなかなか当たらない。

「号」・・・団地・マンションは号室

都内は無理なので、近県に絞って応募をしたら春日部の団地に

入居できることになった。

江東区の勤務地には遠いけれど、

ここで次男が生まれ「●●ブリ同居」のアパートとは

比べ物にならないほど住み心地も良く、今日よりも

明日は良くなる・・という明るい希望を抱けた時代だった。

ところが、つまらないことが原因で、クリスマスの日に

会社を辞めることになった・・・家にかかわることのスタートなのですが。

住まいの変遷は昭和の反映・・・1

「○○方」・・・大家さんが一階に住み、二階を貸家にする。

私も最初は、渋谷で金〇荘という大家の二階にある

ミニキッチン付き4.5畳の貸室の同棲から始まった。

トイレは、お隣の女子大生姉妹と共有。

間もなく結婚、そして妊娠・・・子供は不可なので

次の住まいを探すことに。

「○○荘」・・・下高井戸の駅近くにある一階は喫茶店などの店舗

その二階の2K風呂トイレ付きの部屋に。

古いうえに、下が店舗の雑居アパートは「●●ブリ」の住まいでもあった。

そこで、次なる住まいを公団住宅に絞って探し始めました。